提出物があったので、勤めていた塾に行った。
ついでに、俺の受け持っていたクラスの授業を見学した。塾でも1,2を争うベテランの先生なので、(進学塾として)ほとんど完璧な授業だった。しかし、彼の授業があまりに完璧だからこそ、問題はより浮き彫りになる。書きたいこともあるが、また今度にしよう。ところで、彼の作ったテストは非常に良かった。俺が作るよりも良いと思う。任せたこと自体は間違っていないだろう。
もう行くことはないだろうが、最後に何人かの生徒としゃべったり、個別指導をしている元教え子の顔も見れて良かった。

4限、科学哲学

本の第一章。デカルトの「方法序説」について。我思う故に我あり、は哲学者には面白いのかもしれないが、ここではそこはどうでもいい。方法序説には、(デカルトが考えた)「専門科学の研究者的思考」を行うための4つの規則が書いてあり、序説のあとには、この規則にしたがって、屈折光学、気象学、幾何学、の論文が続いている。この4つの規則は、当たり前のように見えて、実際に適応するときには当たり前ではない。例えば、ジェボンズの論理学上の発見は、すでに200年前のデカルトに書いてあることを適応したものなのだ。

先生は、哲学者が書いた帰納法の論文はイミがないとおっしゃった。俺も概念的理解だけで、ものがわかった気分にならないように気をつけないといけないなあ。

途中、運動方程式を説明するときに、v=dx/dtから説明していたのは新鮮だった。文学部の講義だということを忘れていたが、彼らが運動方程式を知らないのはいいとして、ものを定量的に表すということ自体知らないはずだ。(例えば、(x(t),y(t),z(t))で運動を表したり、(T,n,V)で平衡な気体の力学的性質を表したり。)そういうということを全く知らずに、科学哲学の議論についていけるのだろうか??文学部出身者の中で、たまたま科学に興味を持った人が科学哲学をやるのだとしたら、この分野は人材的に相当苦しいのではないだろうか。

2限、言語学

言語学の歴史。「音」の研究なくして言語学はない、と昔の人は言ったそうな。
「音」の変移の話。変移の仕方にある傾向が見られるが、これが普遍的な法則かというとあやしい。言語学は科学にはなりにくい、ということだ。(理解が不十分ですが、今の段階でもそうなのかはよくわからなかった。音の研究については、もちろん、検証実験などはできないので、法則とまではいえない、と言ったと思う。)

2限、原子核物理

塾講の(つまり高校物理の)最終回が原子核だったので、近頃原子核に興味を持ってました。今まで高校にうぶ毛が生えた程度の知識しかなかったので、今日は面白かったです。てか先生がいいなあ。何が奇妙なのか、何が解決されるべき問題なのか、わかりやすく説明してくれるおじいさんです。授業もこれから原子核物理を歴史を追って見ていくらしい。
以前は、「歴史を追う」と聞くと、「歴史なんていいから、現代の理解からわかりやすく説明してくれ」と思っていましたが、最近はある程度歴史的に学ばなくては、何も理解したことにはならないような気がしてきました。20世紀の物理は特にそうです。特に原子核物理は参考文献も少ないようだし、毎週出る必要があるな。